BLOG ブログ

これまでの人生

これまでの人生①

みなさん、ご無沙汰しております。

昔のホームページで、私のこれまでの人生についていろいろ書いてきましたが、
改めていまの感覚で少しずつ振り返ってみたいと思います。

幼少期について

大阪市西成区(鶴見橋商店街近く)で生まれました。
いまでも覚えているのは、小さい頃はぜんそくがひどく、母が毎晩 乾布摩擦をしてくれたことです。
何年もしてくれたと思います。そのおかげでぜんそくが収まった記憶があります。

そのころ、よく母が私に言った言葉を覚えています。
「あなたは人の10倍くらい繊細だから、いろんなことが気になると思うよ」

たしかに幼少期は自分が人に話しかけた言葉が100%返ってくるものと思っていました。
「いま、ぼくが話しかけたのになぜ返事しないのかな?」と感じることが多々ありました。

両親が9歳のときに離婚しました。母の不倫だとか。。(詳しいことはわかりません)
6つ下の弟も生まれていましたが、ある日、父と母のどちらと暮らしたい?と言われ
間髪なく母を選びました。

それから母は、弟を背中におぶいながら、新聞配達、ヤクルトの配達員、ほか
様々な仕事をかけもちながら、ぼくたち兄弟を楽しく、おかしく養ってくれました。

貧乏ながら、毎日を楽しくする母の才能は秀逸で、ぼくたちは毎日母の魔法にかかっている
ようでした。仕事帰り、がばちょ(超大盛り)のやきめしややきそばをよだれを垂らしながら
待っていたことは鮮明な記憶に残っています。

母は、熊本生まれでした。5人姉弟の次女で、お姉さんの二人目ということで男子を望まれた中で
生まれました。当時は裕福だったそうで一人一人の子供に乳母がついていたそうです。

家計的に知的な人が多く、祖母も叔母も教師が多かったです。母も文章の才能は高く、
才女だったと思います。

しかし、精神的に不安定な家計で、母の妹(叔母)は自死していたとのことです。

私は、どうやらそんな母の家系の気質を受け継いでいたようで、幼少期から自分自身の
精神的状態を異常なものと感じていました。

ある夜、母が寝床にいないことに不安を感じて、深夜(2時頃)、近所を寝間着のまま
叫びながら走りまわったことは今でも覚えています。

そんな私がなぜいまカウンセラーをしているのか?

毎週、続きを書いていきたいと思います。

ここまで読んでくれてありがとうございます。

ヒーリング・セラピー Office CHU
辻野 忠(CHU)


LINEでお問い合わせを受付中です。

以下のリンクから公式アカウントを友だち追加して、分からないことや
相談したいことがありましたら、トークルームからお気軽にお問い合わせください。

メッセージをお待ちしております。
https://lin.ee/PCGF1eM


=======================
☆こちらの本、もし良かったらご覧ください。
私の半生とこれまでの流れを書かせて頂いています。

『 自分とつながる ~ココロとカラダに学ぶ自分軸の生き方~ 』
Amazon販売URL: https://amzn.to/3hi5m5n

SHARE

ブログ一覧